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FERRARI 126C2
b0065730_18222652.jpgフェラーリ126C2のミニチュアカーにヴィルヌーブを思う...












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                       フェラーリコレクション12


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                        FERRARI 126C2
          この126C2を見ていると、亡きジルヴィルヌーブ(F1ドライバー)を思わずにはいられない...

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ジルヴィルヌーブ:1950年1月18日、カナダのケベック州モントリオールに程近い小さな町リシュリューで生まれ、近郊のベルティエヴィルで育つフランス語を母国語とするフランス系カナダ人。青年時代までスノーモービル競技の選手で、氷の上に投げ出されながらバランス感覚を磨いた。1973年から自動車レースを始め、フォーミュラ・フォード、フォーミュラ・アトランティックのチャンピオンになる。当時のライバルはケケ・ロズベルグだった。
1977年:フォーミュラ・アトランティックにゲスト参戦したジェームス・ハントの推薦でマクラーレンと契約し、 7月17日の第10戦イギリスGPでF1にデビューする(フェラーリ以外を駆ったのはこのレースのみ)。 この時の走りがエンツォ・フェラーリの目にとまり、フェラーリチームにスカウトされ、10月9日の第16戦カナダGPからは、チームとの確執から離脱したニキ・ラウダに代わって参戦する。
10月23日の第17戦日本GP(富士スピードウェイ)では、序盤に第一コーナーへの進入で前方のロニー・ピーターソンのティレルに追突。ヴィルヌーブのフェラーリは宙高く舞い上がり、立ち入り禁止区域にいた観客らの中に落下するという大事故を起こす。マシンは大破し、ヴィルヌーブは奇跡的に無傷だったが、カメラマンとマーシャルの計2名が死亡、重軽傷者9名という惨事を招いた。この悲惨な結果は、進入禁止エリアで観客が観戦し、警備員が再三の撤退を促していた中で起きたものである。しかし、当時日本ではモータースポーツへの理解が低かったこともあり、ヴィルヌーヴは過失致死の容疑で書類送検される事態となり、日本からの永久追放処分となった。この事故も一因となり、日本におけるF1開催はその後1987年に鈴鹿サーキットにて復活するまで、長きにわたり中断されることになる。また、ヴィルヌーヴは日本を含む各国のマスコミから激しい非難に晒されたが、エンツォ・フェラーリは「死亡事故は今までにもたくさんあった、これがF1レースの世界だ」と彼を擁護した。



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1978年:この年からフェラーリでフル参戦を開始。第4戦アメリカ西GPでは首位快走中にクレイ・レガツォーニのシャドウに追突し、再び物議を醸す。しかし、徐々に成績を上げ、第6戦ベルギーGPで4位初入賞。第12戦オーストリアGPで3位初表彰台を獲得。そして第16戦カナダGPにて、予選3位から念願の初優勝。記念すべきF1初勝利を地元モントリオールに新設されたサーキット・イル・ノートルダムで達成し、カナダ国民から祝福された。当初、新人の抜擢に懐疑的だったフェラーリファン(ティフォシ)にも認められ、シーズン後にチームを放出されたのはエースドライバーのカルロス・ロイテマンの方だった。








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1981年:フェラーリはターボエンジンに移行するが、新車フェラーリ126CKは旧態なシャーシ設計が災いし、ヴィルヌーヴが「真っ赤なとっても速いキャデラック」と称すほど挙動が不安定なじゃじゃ馬であった。総合性能では他チームのマシンより低い状態だったが、それでもヴィルヌーヴは2回の優勝を記録し、超人的なドライビングテクニックを讃えられた。

第6戦モナコGPでは狭い市街地コースをドリフトしながら、ガードレールとの距離をセンチ単位でコントロールする走りで予選2位。決勝レースでもアラン・ジョーンズを終盤に抜き去り、優勝を飾る。次戦第7戦スペインGPでは後続の4台のマシンを巧みに抑えこみ、一列縦隊のまま先頭で逃げ切った。1位ヴィルヌーヴから5位までのゴール時のタイム差は僅か1秒24で、「ヴィルヌーヴ・トレイン」と形容された。また優勝ではないが、雨の中行われた第14戦地元カナダGPでは、レース途中で破損したフロントウィングがめくれ上がり、視界を遮られた状況での走行となる。ついにはノーズごと脱落しながらも、そのまま力走を続けて3位表彰台を獲得。次のシーズンが期待される事となった。


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1982年事故死:エンツォの肝いりにより、ハーベイ・ポスルスウェイトをデザイナーに迎えて作られた新車フェラーリ126C2は、他チームと遜色のないマシンに仕上がり、ようやくヴィルヌーヴはチャンピオンを目指す環境を手に入れた。序盤3戦はリタイヤや失格が続き、迎えた第4戦サンマリノGPでヴィルヌーヴはトップを走行し、チームメイトのピローニが背後に続いた。ピットからは「燃費に注意を払い、無用な戦いを避けるように」との意味で"SLOW"のサインが出され、ヴィルヌーヴはリスクを冒さず、ペースダウン走行に移った(この時、3位のミケーレ・アルボレートには1分近く差があり、フェラーリのワンツーフィニッシュは決定的であった)。
しかし、その指示を破ってピローニがヴィルヌーヴを追い越す。このレースは政治的な対立から多くのチームがボイコットし、出走がわずかに14台であった為、ヴィルヌーヴは当初これを「見所の減ったレースに来てくれた観客を喜ばす余興」と考え、トップを奪い返した。しかしピローニが最終ラップで再度抜き返し、裏切りに気付いたヴィルヌーヴはスピードを上げるが、結局2位に終わった。表彰式では、シャンパンを手にはしゃぐピローニの後ろで、静かに、しかし激しい怒りを露わにするヴィルヌーヴの姿が見られた。元々ピローニはヴィルヌーヴには友情すら感じていたというが、ヴィルヌーヴはピローニをこの事件以降拒絶。仲は修復不可能なほど悪化してしまう。

続く第5戦ベルギーGP(ゾルダー・サーキット)の予選2日目(1982年5月8日)、ヴィルヌーヴはピローニが自身の予選タイムを上回ったと聞くやいなや、予選アタックへと飛び出していった。タイム更新ならず周回を続ける中、最終コーナーのS字カーブでスロー走行中のヨッヘン・マスのマーチに遭遇。ヴィルヌーヴの接近に気付き、レコードラインを譲ろうとしたマスと、マスを抜くべくラインを変えたヴィルヌーヴは同じ方向(アウトコース)に動いてしまった。

この結果、ヴィルヌーヴは左フロントタイヤからマスに接触し、その右リアタイヤに乗り上げてしまう。時速230kmに達し、空中を舞ったマシンは路面に激突して150mも転がり、大破。この時の衝撃でシートベルトが引きちぎれ、マシンから投げ出されたヴィルヌーヴはシートごとコース脇のフェンスに叩きつけられた。現場や病院において蘇生処置が施されたが、頚椎その他を骨折したヴィルヌーヴは結局その日の夜9時過ぎに死亡した。享年32。この一部始終は蘇生処置まで含めて映像として残っており、自動車レースにおける最も悲惨で衝撃的な事故映像の一つとして、1983年の「ウィニング・ラン」、1987年の「グッバイ・ヒーロー」などの映画で紹介された。

ケベックで行われた葬儀には多数のF1関係者が参列し、ジョディ・シェクターが「彼が亡くなった事により、2つ悲しい事がある。1つ目は彼がF1史上最速のレーサーだった事。2つ目は彼が私が今までお会いした人の中で一番の純粋な男であった事だ。」と弔辞を述べた。遺体は荼毘に付され、第2の故郷ベルティエヴィルの墓地に棺の一部が納められた。


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事故原因:FISAの事故調査委員会はヴィルヌーヴの判断ミスと判定し、マスの責任を問わなかった。レースアクシデントとしては、両者の回避判断が重なってしまった不幸なケースとみなされている。ただし、モータースポーツの基本として「速度差の大きい後続車に道を譲る場合はむやみにライン変更せず、後続車に追い抜きの判断を任せる」というマナーがある。

ヴィルヌーヴの事故は、当時多用されていた予選用タイヤの存在が引き金になっている面もある。予選用タイヤは非常にグリップ力が高く好タイムを出しやすいが、その能力を発揮できるのはせいぜい1〜2周で、最高性能を発揮する前後はスロー走行しなければならない。当時は予選出走台数が30台に達し、コース状況が良くなる予選終盤に各車が一斉に出走する渋滞状態が問題視されていた。

そのため予選中には、タイヤの最高性能が出た状態でタイムアタックする車両と、スロー走行する車両がコース上に混在するという、非常に危険な状況が常態化してしまっていた。ヴィルヌーヴの事故の際は、ヴィルヌーヴがタイムアタック中で、追突されたマスはスロー走行中だった。




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ピローニ:ヴィルヌーヴが事故死する引き金となったピローニは、すっかり憎まれ役となってしまった。しかし彼もまたヴィルヌーヴの死に大きな精神的衝撃を受けた(このときのベルギーGP決勝では参加を取り止めている)。先述のように彼はヴィルヌーブに対して友情すら感じており、第8戦カナダGPでポールポジションを獲るが、「本来なら、ここにいるべき男がいない」と涙を見せた。しかもレースはスタートでストールし、後方からリカルド・パレッティが全開で追突、パレッティは死亡してしまうという最悪のものであった。

それでも混戦となったこのシーズンのランキングをリードしタイトルに近付くが、大雨となった第12戦ドイツGPの予選中、視界を失ってアラン・プロストのマシンに乗り上げ、ベルギーGPのヴィルヌーブと全く同じような事故を起こしてしまう。ピローニは両足複雑骨折の重傷を負い、タイトルは無論の事、F1ドライバーとしてのキャリアを失う結果になった。その後1987年にパワーボートレース中の事故で死亡したが、パートナーの女性は死後誕生した双子の息子にディディエとジルと名づけた。

ともにチャンピオン候補であった二人のドライバーを1シーズン中に二人とも失ったフェラーリチームは、空いたシートを埋めたパトリック・タンベイとマリオ・アンドレッティの二人の名手の手により、1982年のコンストラクターズタイトルを獲得している。


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死後の名声:没後、カナダ人としての偉業を讃え、初勝利を遂げたサーキット・イル・ノートルダムはサーキット・ジル・ヴィルヌーヴと改名され、その後もF1カナダGPの舞台となっている。コースのスタートライン上には「Salut Gilles(やあ、ジル)」の一文が記されている。フェラーリの本拠地であるイタリアのモデナ県マラネッロには、フェラーリの専用テストコース近くに「Via Gilles Villeneuve」(ジル・ヴィルヌーヴ通り)があり、通りの始まる交差点の角に胸像が建てられていて、現在もファンからの献花が絶えない。また、サンマリノGPが催されるアウトドローモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリでは、1982年の最後のレースでスタートした3番グリッドにカナダ国旗が記され、1980年に高速クラッシュを演じたコーナーが「Curva Villeneuve(ヴィルヌーブ・カーブ)」と命名された。このコーナーでは、1994年のサンマリノGPでローランド・ラッツェンバーガーが事故死し、以後シケインに改修された。

ヴィルヌーヴが1981年から1982年にかけて付けたカーナンバー27番は、1980年のチャンピオンチーム、ウィリアムズとの交換で与えられた番号だった。当時は各コンストラクターの番号が固定化され、新興チームへ大きい番号が割り振られており、名門フェラーリが27番を付けるのは不振の象徴として嫌われていた。しかし、ヴィルヌーヴの獅子奮迅の活躍と悲劇の死により、27番はティフォシから「偉大な番号」として愛され、フェラーリのエースドライバーを象徴するものとなった。その後、ミケーレ・アルボレート、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、ジャン・アレジらが27番を受け継いで戦った。アレジは攻撃的なスタイルから「ジルの再来」と呼ばれ、1995年のカナダGP(上述の通り、ジルの名のついたサーキット)で感動的な1勝を挙げた。なお、1990年には、前年度チャンピオンのプロストがフェラーリに移籍してきたため、皮肉にもライバルのアイルトン・セナが27番を付けることになった。

27番の伝統はミハエル・シューマッハが移籍してきた1996年に終わる。前年のドライバーズチャンピオンの付ける1番とチームメイトの2番以外は前年のコンストラクターズの順位の順番に従ってカーナンバーを付けるという規定が設けられたためである。2007年時点では参戦チーム数が最大12に制限されており、各チーム2台で最大25番(キリスト教文化圏で不吉とされる13番は除かれる)までしか使用されないため、27番は現在「欠番状態」になっている。


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経歴年表
1977年 F1参戦(チーム:マクラーレン/フェラーリ)(M23・フォード/312T2・フェラーリ)
1978年 F1(チーム:フェラーリ)(312T2/312T3・フェラーリ)シリーズ9位
1979年 F1(チーム:フェラーリ)(312T3/312T4・フェラーリ)シリーズ2位
1980年 F1(チーム:フェラーリ)(312T5・フェラーリ)シリーズ14位
1981年 F1(チーム:フェラーリ)(126CK・フェラーリ)シリーズ7位
1982年 F1(チーム:フェラーリ)(126C2・フェラーリ)シリーズ15位

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋引用



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by AkabaneVisionFILM | 2008-02-13 18:43 | 趣味、コレクション | Trackback | Comments(0)
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